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ブログ 2023.7.27 UDS Story 創業ストーリー

UDS創業ストーリー

創業者の梶原は高校生の時、アフリカの飢餓問題に関心を寄せ、医師になって子どもたちを助ける仕事していきたいと考えていました。

しかし自分に向いていない気もするし、勉強もあまりしていないし。と悩んでいる中である講演会に参加。そこで出会った医師が梶原の将来の道標となる言葉をくれました。

アフリカに貢献できる医師になりたい、と話しました。そうしたら、君にいい記事があると言われ、後日自宅に記事が届きました。それは、世界中で困っている子どもたちのために、アメリカで事業を興してお金をつくり、そのお金を寄付している起業家の記事でした。その記事には手紙が添えられていて、『選択肢はいろいろある。医師じゃなくてもやりたいことと結果が結びつけばいいんじゃないか』と書いてあったんです。(創業者 梶原文生)

その言葉で、自分も好きな道で子どもたちのバックアップをしようと決意し、経営者になることで社会に貢献していくことを志します。

2001年ベトナムで、ストリートチルドレンたちが暮らす学校+住むところのない子供たちの家を建てました。梶原が高校生の頃から考えていた、子どもたちの支援を実際に形にできたプロジェクトでした。
2001年ベトナムで、ストリートチルドレンたちが暮らす学校+住むところのない子供たちの家を建てました。梶原が高校生の頃から考えていた、子どもたちの支援を実際に形にできたプロジェクトでした。

人の役にたち、世の中に貢献して、楽しい仕事をする

経営者になるために必要な体力、精神力、統率力を身に付けるためにボート部の強豪大学に入学。部活と両立させながらもともと興味のあった建築を学びました。

卒業後は不動産デベロッパーで3年間の修行を経て、いよいよ起業。その時にこだわったのは、
せっかく仕事をするのならば「楽しい仕事をしていきたい」
ということでした。

自分にとっての「楽しい仕事」ってどういう仕事だろう。
自分に問いかけながら徹底的に考え、整理をしていきました。

そうすることで、自分にとっての「楽しい仕事」とはこんな仕事だ、ということがだんだんと見えてきました。

・人の役に立って感謝されること
・好きなこと、これいいな、と思えることができること
・いい仲間と一緒に仕事をして、ひとりじゃできないことが実現すること
・仲間の中で自分が何かの役割を得て感謝されること
・ひとつの仕組みを作ってそれが広がっていって、世の中がよくなること
・適切な稼ぎがあること

その中でも特に大きかったのは、経営者を志した時に抱いていた「人の役にたって、世の中に貢献する」という想いでした。

「こうだったらいいな」の追求でまちをより豊かに

「人の役にたって、世の中に貢献できる楽しい仕事」を実現するために、建築を学んだバックボーンも生かしながら最初に事業として取り組んだのが当時、コミュニティがない、自由度がない、マージンが大きすぎるなどで都市の中の社会問題となっていた「住宅」でした。

都市デザインシステムという会社をひとりで立ち上げ、広告費などのコストを削減しながらオーダーメイドでコミュニティのある住まいを作っていく「コーポラティブハウス」を最初の事業として取り組みます。

日本での実現は難しいだろうと言われる中で、融資や保険などの問題をクリアして実現するための仕組みをつくり上げ、事業化を実現しました。

「コーポラティブハウス事業」に10年間取り組んだ後、環境問題への意識と「海外から来た友人に薦められるホテルが欲しい」との視点からリノベーションのホテル事業に取り組みます。その後、子ども向けの職業体験施設、学生食堂、コワーキングスペース、など、既存の「当たり前」から離れ、エンドユーザー目線で「こうだったらいいな」という場を発想し、新しい仕組みを作りあげて実現することで、新しい選択肢として社会に提案してきました。

創業から30年がたちますが、UDSの根底にあるのは、やはり「人の役にたち、世の中に貢献する」という想い。
現在UDSで働いている一人一人も常にこの想いを大切に、日々取り組んでいます。